Illawarra League2部に所属するHelensburgh Thistlesで、2シーズンプレーした三谷佳。
主力として、チームを2シーズンともプレーオフへ導いたこの男について、今回は書いてみようと思う。
オーストラリアに来た当初から、三谷が口にしていた事、
【サッカーで上を目指すというよりは、サッカーを通じて、英語とオーストラリアの文化を学びたい】
日本で社会人を経験したからこそ、これからの時代にどういった人材が求められるのかという事を理解し、それを学びに来た。
そしてIllawarra League1部で十分にプレーできる実力がありながらも、初めにオファーを受けたHelensburghでプレーする事にした理由も、そこにある。
僕自身、彼がHelensburghというクラブに送る初めての日本人選手であったが、今になって言える事は、
【このクラブで三谷がプレーできたのは、神の導きとしか考えられない】
ということだ。
ちょっと宗教色が強すぎる表現だったかな?(笑)
とにかく、神の存在を信じる僕としては、三谷とHelensburghの出会いは偶然ではなく、それぐらいの必然性を感じたのである。
このクラブが本拠地とするHelensburghを生活の拠点とし、仕事もこの街で始めた三谷。
小さな街だけに、スーパーに買い物に行けば、自分の事を知っていて声を掛けてくれる人もいる。
そして、チームメイトの家にもたびたび招待され、彼らの家族とディナーを楽しむ。
こんな環境で生活していれば、英語ももちろん伸びざるを得ない。
一週間に一回シドニーで行われている、サッカーコーチAlさんによる英会話カフェレッスンにも、片道一時間近く掛けて通っていた彼。
そのレッスンの場で会うごとに、三谷の英語力は驚くぐらい上達していたのを、覚えている。
僕が過去に100人近いチャレンジャーをサポートしてきた中で、短期間でここまで英語を上達させた姿を見せてくれたのは、サッカーコーチとして活動した椿野唯仁と、三谷佳しか挙げる事ができない。
三谷が日本へ帰国する直前、クラブが彼の為に開いてくれたお別れパーティー。
その会場には、100人以上の人々が集まった。
一緒にプレーした選手、監督、コーチ陣だけでなく、選手達の家族や、友人、知人まで、彼との別れを惜しむ人々で、会場は満員に。
あまりにも感激した三谷、最後のお別れの言葉のシーンでは、男泣きを見せる。
【オーストラリアにいつでも戻って来い!俺らはお前のオーストラリアでのファミリーだ】
こんな熱い言葉を投げかけてくれるオージーを友に持てるなんて、なんて幸せなんだ。
最高としか言い表す事ができない、オーストラリアでの2年間の思い出を胸に刻み、三谷は日本へ帰っていった。
【日本へ帰国する前の、三谷佳のインタビュー】
それから6カ月後、三谷と大阪で再会した。
インスタグラムで大阪に行くと控えめに告知した瞬間、彼から、ぜひ会いましょう!と、連絡が来たのである。
僕が日本に帰る際に一番楽しみにしている事、それはシドニーでサポートした選手達と再会する事だ。
彼らが日本で何をしているのか?シドニーでの経験を活かして、社会人として頑張っているのか?
三谷が予約してくれたお好み焼き屋で、ビールを片手に、色々と語った。
オーストラリアでの経験が忘れられずに、逆ホームシックになった事。
大阪で外国人と話していて、お前オージーか?と言われた事など。
とにかく、オーストラリアで生活できたことは本当に最高だったと、話してくれた。
こうやって、人の人生に関われる仕事が出来て、僕は本当に幸せだ。
サポートした全ての選手が僕にハッピーであるわけでないし、僕に不満がある選手だってもちろんいる。
僕だって正直、サポートした選手の中で、今後一生相手にしたくないような人間も今までいた。
ただ一つ言える事は、三谷の様に、サポートする側、される側の関係が終わっても、お互いを高め合える関係性を持てる選手とは、今後もとことん付き合っていきたい。
さあ、明日からも頑張るぞー!
豪州フットボーラーズ