Aリーグが開幕する前に、オーストラリアのNSW州リーグでプレーしていた数少ない日本人の内の一人で、現在は兵庫県の私立高校で教鞭をとる石井英貴、35歳。最後にオーストラリアでプレーしてから10年近く経った今でも、半分本気でオーストラリアでサッカー選手としての復帰を考える位、オーストラリアに対する愛着を未だに持ち続ける石井に、当時の思い出と今のチャレンジャーに対するアドバイスを語ってもらいました。
石井英貴のオーストラリアでの経歴
2004 Sydney Crescent Star (NSW Premier League)
2005 Stanmore Hawks (NSW Super League)
2006 Stanmore Hawks (NSW Super League)
2007 Bankstown Lions (NSW Premier League)
自分がプレーしていたのは2003~2007シーズンで、その時は日本人は2~3人。
その当時はただしさん(宮下)のようなエージェント、そして個人的なコネクションもなく、先が見えない道をがむしゃらに突き進んでた感じです。
プレミアリーグの実態もわからず、英語力もない中でのチーム探しは今思えば「すごく遠回り」だったなと。
でもそのスーパーリーグでの経験があったからこそ、2007年にバンクスタウンと契約ができ、準優勝を果たせたのかなと。
最後の最後でバンクスタウンのコーチに紹介してもらい、AリーグのNewcastle Jetsのテストに行かせてもらったけど、結果契約には至らず。
あの時は自分を追い込んでサッカー中心の生活を送っていたと思っていたが、全然努力が足りなかったんでしょうね。
自分の力のなさを痛感しました。
きっとスーパーリーグでもプレミアでもある程度結果を残し、周りからも認められてたことで天狗になってたんでしょう。
あのときに戻れるなら、もっと練習して、もっと英語を勉強しますね。
自分で切り開いて行くには、英語力を必須です。
あとは人脈が大事です。
積極的にチームメイトやスタッフ、サッカー関係者とコミュニケーションを取った方がいいと思います。
そうすればどこかで自分を助けてくれるはず。
今の現状に満足せず、常に向上心を持って❗
当時、外国人枠というものが存在しなかった位、日本人選手どころか外国人選手自体がほぼプレーしていなかったNSW州リーグで、Bankstown Lionsの中心選手として活躍し、Aリーグ創設年度にNewcastles Jetsの練習に2週間参加、契約まであと一歩の所まで登りつめた石井英貴。僕がこのビジネスを始めたのも、2006シーズンのNSW Premier League決勝で、大観衆の前でプレーする石井の姿を見て、この様な舞台でプレーできる日本人選手を増やしていきたいと思った事がきっかけとなったと言っても過言ではない位、僕の中で石井は常に、豪州サッカーの日本人先駆者として存在し続けてきました。
石井とは、僕が毎年日本へ帰国する毎に必ずキャッチアップをしている仲ですが、いつか彼とも一緒に仕事が出来ればと思っています。
豪州フットボーラーズ